山なんて登ったことがないなァというあなたへ。
ひとつの大きな山を越えてわかることは、行く手にもっとたくさんの超えるべき山があるということ
日本で一番高い山は言わずと知れた富士山3776m。
世界で一番高い山は三国にまたがるエベレスト8848m。
世界最難関と言われるのは標高8611mの「キラーマウンテン」K2。
他にも人類未踏峰の6000m超えの山はいくつもあり、さらにエベレストを超える深さの深海はいまだにその全貌を把握しきれていません。
これは地球上の実際の山の話ですが、私たちの周りにはこれ以外にも超えるべき高い山々が数多くあります。
人種差別、ウイルス感染、環境破壊、貧富の格差といった世界規模の問題から、家族や友人とのコミュニケーション、ジェンダーや古い慣習、時代に合わない倫理や社会システム。
そこにあるのは、登山者を苦しめ、疲弊させ、追い詰め命を危険にさらす可能性がある恐ろしい山々です。
マンデラ大統領は、一つの山に立ち向かいました。アパルトヘイトという、人種差別の山です。しかしその山を越えた先には、実はもっと多くの山が待っていたと言うのです。険しく、高い山達です。
その山に気付いたとき、どんな気持ちになったんでしょうか。
険しく高い山ほど、人間一人では立ち向かうことができません。
チームが必要です。たくさんの知恵と資源も必要です。それらの準備を万端にしても、必ず成功するわけではありません。
山の天気は変わりやすく、その天候は神のみぞ知るからです。
現実世界で言う天気とは、周囲の人の関心です。
高い山に立ち向かうチームを支持し支援するのか、それとも自分には関係のないことだと無視するのか、そんなことをしても無駄だと糾弾し、天候を荒れさせるのか。
私たちは大抵無関心です。わざわざ遠くて高い山に登ろうなんて人はそうたくさんはいません。すでに自分自身の目の前にある丘にいっぱいいっぱいで、他の山に目が向けられないのです。
本当は、遠くて高くて険しい山ほど、本当は誰もが超えるべき山なのです。
差別も環境破壊も貧富の格差も、自分たちのはるか遠くにある高い山ではないし、誰かがいつか乗り越えてくれる夢の山でもないのです。
その山は、一人一人が超えるべき山なのです。
私たち一人一人の中にある現実の山です。
誰もが他者への偏見と差別の目を持っています。
太っている人は醜く、外国人は信用できず、若者は無知で世間知らずで、老人は悪質なクレーマー。女性は子育てが得意で、男性は企業戦士、仕事で泣いたりしない。
毎日使い捨てるビニール袋はいずれ死んだ鳥や亀の胃の中から見つかるものかもしれません。
毎日のように仲間たちと楽しい宴会を開き、湯水のごとくお金を配る金持ちがいるのに、充分に食べるものがなく、ごみ箱をあさって食事にありつく人が同じ国にいながら見て見ぬふりをされ、なかったことにされます。
これは当事者の問題じゃあないのです。
社会のシステムという高い山、それを超えるべきはこの地に住む住人たる私たち一人一人なのです。
一つの山が見えると、他にもたくさんの山があることに気付きます。
気付いたら、もう気付かなかった頃の自分には戻れません。
社会が変わり始めたいま、霧にかかっていた山や、見ないようにしていた山が次々と目の前に現れ始めています。
山は一人一人の中にありますが、それを超える時は一人である必要はありません。
山はいつでも、みんなの中にあるのです。超えるべきヒントは、本当は皆が持っているはずなのです。
みんなで相談して、みんなで協力して、みんなで山を越える。
何のご褒美も、報酬もありません。疲れるし、大変だし、下手すると大変危険です。
だけど山に登る理由は一つです。
「そこに超えるべき山があるから」
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