曇りなき眼で見定め、決める(もののけ姫)
曇りなき眼で見定め、決める
『もののけ姫』
映画館で観る『もののけ姫』は、古代のうっそうとした森が映る最初のシーンから、テレビで見るそれとはまったく違った。
音楽もそうだが、絵の力もすごい。最近の流行は写真のようにリアルなアニメが多い。
美しい住宅街や高層ビルがとても魅力的だが、森や自然を描ききっているのはやっぱりジブリだ、と思った。
そこにあるのは、ただ美しく綺麗な自然ではなく、『圧倒的な畏敬の念』
簡単に足を踏み入れてはいけない、そんな森の厳かさを、『もののけ姫』は見事に描いていたと思う。
『ナウシカ』のような明らかに変質してしまった森は、神秘的でどこか遠い惑星のもののようだが、このシシ神の森は私たちのすぐ身近にある森だと感じる。
身近にあった、というべきか。だからこそ、畏れるのだ。
前置きはさておき。
アシタカは故郷を救うためにその身に呪いを受ける。そしてその呪いの原因を知るエボシに、旅の目的を聞かれてこう答えた。
彼の言う曇りなき眼とは何だろうか。
そして、何を「決める」のだろうか。
アシタカは、自然と人間が争ってはいけないことを彼は知っている。
人間が絶対に自然には勝てぬと言うことを知っているんだろう。
彼の曇りなき眼とは、組織を作り、社会を築いた人間が当然だと思っていることとは違う。人と自然が本来どのような関係だったのかを、知っている眼だ。
まっすぐだから、社会の中で暮らす人間達には受け入れがたい。
アシタカは、社会に出たばかりの若者と一致するらしい。
まっすぐで純粋で、これまでいた社会とは全く違う世界へ一人で飛び込む。
理想と現実のギャップや、大人たちの信じる「常識」という壁にぶつかる。
中には理想を棄て、純粋さを棄て、利益を得ようと「常識」を手に入れる若者もいるだろう。そのほうが摩擦がなく、楽だからだ。
そういう大人を大勢知っている。
だけど誰もが若者の時感じたことがあるだろう。
「それっておかしくない?」「もっと別の道があるんじゃない?」
それこそアシタカの言う曇りなき眼なのではないかと思う。
常識に疑問を持つこと。
偏見や思い込みを棄て、本当に大事なことと向き合うこと。
貫き通すか、捨てるかは個人の自由だが、
常識がどんどん変わっていく今、本当に変わるべきはどっちだろうか?
「曇りなき眼」のほうではなく、森を切り開くという「常識」のほうが、変わるべきではないだろうか?
とはいっても、腕を喪い、アシタカやサンに命を助けられたエボシが最後にようやく「常識」を変えたように、喪うものなくして何かを変えることなどできないのかもしれない。
アシタカは最後に「決めた」。
森と、サンと、そしてタタラ場と、ともに生きるということを。
私たちはこの混乱の時代の後、何と共存し、何を喪うんだろうか。
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